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Architectural Computing デザイントーク

身体性を目覚めさせるためのAR、Architectural Computing宣言

ARの会社、などと紹介されながら、全くARらしくない事業展開をしていることに説明を求められる機会が増えてきた。私たちの考えるARとはどのようなものなのか。ARというジャーゴンが普及し始めている中で、どのような立ち位置を取り得るのかについて表明しておくことは重要であると考えられるので、この場を借りて表明しておく。

ARとは本来、グラストロンをかけて観ている場合にいえるもので、カメラを動かしたときに画面上でみえるものは拡張現実のようであって、そうではない。それは完全なる虚像である。グラストロンをかけたときとの身体性と、カメラでみるときの身体性は本質的に異なるものである。画面を手を動かして見るという行為は拡張現実にはなりえていない。観るという身体性は目によって実現されるものであり、手でなされるものではない。現在もてはやされているものはARではなく、ARToolkitを用いたViewerである。ジュラシックパークの恐竜たちと違うのは、カメラの座標点と連動しているというだけのことで、そこに新規性はほぼない。