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iPhone & iPod touch デザイントーク

誰のためのデザイン?は真逆も考える

先ほど、Facebookからのメール通知を止めようとして設定画面を開いたら、計56個以上ものチェックボックスを外さなければならないことを発見して絶望したのです。これはちょっと酷い。

確かにFacebookには多種多様な機能がついており、友人との連絡がFacebookを中心として成り立っているのであれば、56個ものチェックボックスでメール通知の有無を管理する作業は必要となるかもしれない。だが、付き合いと興味本位でFacebookに入り、月に1度程度しかログインしない人間にとっては「基本的に全てのメール通知がいらない」のが正直なところ。チェックボックスが50個もつき、それを一括変更できない状態というのは、たとえFacebookほどにSNSが巨大化していたとしても、現在のUIデザインでは考えられない事態のように思える。もし、あえて意図的につけなかったのだとしたら、その理由は何か。

ほぼ全ての項目は確かに、Facebookできちんと友達の環を作っているなら重要なもの。うっかり一括解除したがために通知に気付かない方が大変だ、と考えたのだと思う。しかし自分の場合、メール通知が必要なのは「メッセージを受け取ったとき」と「イベントの招待を受けたとき」の2つだけで、その他54個+アプリの数に応じた通知を、ひとつひとつクリックで消していく羽目に陥った。それ以外は大して重要じゃない。たとえば極端な例を挙げると、友達として登録されたときの通知なんていらない。たまにログインしてチェックすれば十分。登録してくる人ほとんど知らないので、基本的に要らないのです。

ご存知ないのですよ!?(言ってみたかっただけ

僕たちデザイナーは頻繁に「自社製品中心ご都合主義」に陥りやすいことを自覚しなければならないのかもしれません。ユーザが使っているのは自社の製品だけじゃない。いろんなサイトを使って情報の洪水に溺れている中で、自社サービスしか使わないユーザなんて存在しないのに、どのサイトもが自社サービスを使うように強烈なアタックを仕掛け、ハードユースする理想的なユーザ向けのUIが提供されているというのは、少し考えものです。

だから、僕たちにとって都合がいいユーザの真逆を考えてみるのは、ひとつの方法論として有効だと思っているのです。使用時の状況を、もっと冷徹に思い浮かべる努力というのは、怠っちゃいけない。できれば実際に観察しに行きたい。だけど、例えば大半のiPhone Appで綿密なユーザ観察をしようとすると恐らく大赤字になる。そんなときの思考実験の方法論として、あえて自虐的な厳しい視点を設定してみるのは、ユーザへの甘えを取り除く上で非常に大切で、理想的になってしまいがちな仮定を捨て、ラフな使われ方だったとしても、サービスをその行為の中でスムーズに組み込む努力を怠らないことが、ハードユーザの体験をも向上させたりもするのだと思います。

そうやって開発側が想定するライトユーザというのが、実は一般的なハードユーザの使い方に近いものだったりするからです。いろいろと開発側にとって理不尽な事態というのは、実に簡単にユーザの周りで起きる。作業を中断するとか。途中で別のことを始めてしまうとか。ユーザストーリーを設定してしまうと、そういったソフトウェアにとってはイレギュラーだけれど、現実の生活ではごくごくレギュラーな要素が見えてこないことが多いように思います。Music Aliveを作っていて、それは痛切に感じたことのひとつ。例えば1.0では、途中で電話がかかってきた場合、という想定がすっぽり抜け落ちていた。

あるストーリーを作ってみたら、あえてそこから外れてみる。例えば、両手で使うとして、という想定があったとして、じゃあ片手だったら?と尋ねてみる。そういうのは方法をうまく確立すれば、ある程度は洗い出せる。無意識に前提としていることを、どれだけ意識化できるか。イレギュラーなレギュラーに気付くにはどうするか。今の僕には果てのない課題です。

そういえば話は少し違うが、光回線などの解約手続きといい、クローズ型SNSといい、退会のハードルを故意に高めることで退会率を下げる試みは今も王道だけれど、あれは企業にとって麻薬みたいなものです。何らかの理由で退会手続きを行おうとして一度怒り心頭になったユーザは、その会社の名前を記憶し、以後そこのサービスを使うことはない。例えば以前Yahoo BBで心底嫌な目にあった僕にとって、iPhoneを使うためにソフトバンクを選ぶことは苦渋の選択だったし、加入後、既に3回か4回程度、こめかみに青筋が立っている。ソフトバンクの携帯に関する以外のことでここ数年、そこまで感情的になる事態が起きたことはないのです。あれも、なんとかならないものかといつも思います。