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Architectural Computing デザイントーク

身体性を目覚めさせるためのAR、Architectural Computing宣言

ARの会社、などと紹介されながら、全くARらしくない事業展開をしていることに説明を求められる機会が増えてきた。私たちの考えるARとはどのようなものなのか。ARというジャーゴンが普及し始めている中で、どのような立ち位置を取り得るのかについて表明しておくことは重要であると考えられるので、この場を借りて表明しておく。

ARとは本来、グラストロンをかけて観ている場合にいえるもので、カメラを動かしたときに画面上でみえるものは拡張現実のようであって、そうではない。それは完全なる虚像である。グラストロンをかけたときとの身体性と、カメラでみるときの身体性は本質的に異なるものである。画面を手を動かして見るという行為は拡張現実にはなりえていない。観るという身体性は目によって実現されるものであり、手でなされるものではない。現在もてはやされているものはARではなく、ARToolkitを用いたViewerである。ジュラシックパークの恐竜たちと違うのは、カメラの座標点と連動しているというだけのことで、そこに新規性はほぼない。

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iPhone & iPod touch

iPhoneが駄目ならAndroidがあるじゃない

前回の記事「グラビアアイドルアプリ一斉削除に感じるAppleの展開戦略」にはわずかながら反響があったようで、実際に被害?にあわれた会社さんの方なども読んでくださった模様。「ご退場くださいとか酷いですぅ」などと思われてしまったようなのですが、断っておくとあれはあくまでもジョブズならそう言いかねないってことです。実際、僕たちがグラビアアプリをやっていたら、今頃「もうゴールしても良いよね。私がんばったよね。」と言いながら、悲しみの血の雨を降らせているに違いない。だがしかし、モバイルアプリ事業者を標榜するあなたには強い味方が登場する。

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iPhone & iPod touch デザイントーク

ART apps collectionはARTなのか、は現在進行形で問われている

ART apps collectionというArtyなアプリを紹介するイベントが、現在国立新美術館で開催されている文化庁メディア芸術祭のギャラリートークとして開催されていたので軽く顔を出してきた。iPhone関係のいろんな人が参加していたみたいで、TwitterのTLにも幾つか参加している顔がちらほら。